改めて気付いた事。
もしかしたら、世の中は、そう捨てたものでは無いような気がする。
世の中の価値を金や地位としてしまったなら、それは格差を導いてしまい、本当の幸せを見つけられないかもしれない。
でも、世の中の価値の最たるものが『単なる幸せな気持ち』であるならば、私を含め、世の中の多くの人々は救われる。
私の姉は、とある事情で20年間準引きこもりだった。
母は父とのトラウマから姉に依存して、他人と関わることができなかった。
父は母と離婚しても不倫したり、まともに働かず、問題ばっかりで、ダメ人間だと思っていた。
どうして私だけ!と思うことも沢山あった。
けれど、放送大学で問題解決や心理学、ライフデザイン等の学びを通して、客観的に自分や家族を分析して、他人を尊重する関わりを実践していくと見えてくる事が沢山あった。
姉は母を気遣い、自分が箱庭から出れなくなっていた。それが優しさであり、自分の生き甲斐だと思っていた。
母は自分が姉に依存している事に気付いていなかった。いつまでも「この子には私が必要!」と『母性』と『依存』を履き違えていた。
家族内でお互いを尊重し、言いにくいことも、コミュニケーション方法を実践して関わりを続けていくことで、姉は勤めを始めた。
姉が担当していた家事を母も手伝うようになり、今では台所職人だ。そして、万年ブルドックだった表情は柔らかくなり、良く会話できるようになった。
『役割』とは人が社会的に認められる事であり、それは即ち『生きる喜び』なのだと自分の生活を通して改めて理解した。
皆、誰しもが主役なのだ。
今日、脳梗塞の父が慢性期の病院に転院した。
丸一日かかった。
帰り際に父が泣き出した。
「家に帰りたい」と。
半身麻痺の彼では、彼の住む古い家屋では、今まで通りの生活は不可能である。
だからと言って、好き勝手に生きてきた彼に満足な施設に入ることのできる蓄えはない。
姉は父を許さない。
私に情に流されるなと言う。
でも、きっと彼を見放して、彼の人生が終わった時、私は、きっと幸せではない。
そして、姉も母も幸せにはならない。
だから、私は父を受け入れようと思う。
金でもなく、地位でもない。
ただ、皆で幸せになりたいから。
はあ、彼の身辺整理は手間がかかるだろう。
正直かなりの長期戦かもしれない。
まぁ、ケ・セラ・セラ。
何とか頑張って行きますかい🤓